キャリア

海外で働くことはできるけど、そんなことしてどうするの?

まだ自分が日本で会社員だった頃は「海外に移住して外国語を話しながら現地の企業で働く」なんて夢のまた夢だった。(高校受験を除き)それまで人生で一生懸命何かを勉強したことなんてなかったので大した特技なんて持ってなかったし、三流私大の文系出身なんで『〇〇大出身です』と言って有名な会社に入れてもらうこともできなかった。

今の自分は違う。20代半ばから英語とプログラミングを本気出して勉強してみた結果、オーストラリア・ポーランド・エストニア・チェコでの就労経験がついた。断りはしたけどドイツの会社からフルタイムの仕事を貰えたこともある。夢のまた夢だったキャリアは実現した。自分は住みたい国を選べる人間になったのだ。

が、ここ最近、住みたい国を自由に選べるようになってしまうと、むしろ人生の満足感の低下に繋がるのではないかとよく思うのだ。

 

前回の最後にも少し話したけど、チェコに来てから言葉の壁で予想以上に苦労しているし、渡航してから3週間ほど経つけどまだ慣れないと感じることが多い。勤め先ではリモート勤務をしている社員がほとんどなので他人との交流も少ない。35のおっさんがこんなこと言ったら情けなく聞こえるかもしれんが、自分と似た境遇の人と会えなくて寂しいし心細い。(ちなみに来月からチェコ語の教室に通う予定である。チェコ語を覚えたい外国人がたくさん来るらしい。早く来月になりやがれ)

 

『生活に慣れなくて辛い』

『一人で心細い』

 

…なんて考えている内に、ふと

 

『もしエストニアから出ずにあそこで転職活動をしてたら、今頃こんな苦労しなかったんじゃないのか?』

『もっと英語の通用度が高い国を選んでおけば、こんなに苦労しなくて済んだんじゃないか?』

 

…みたいなことを考えてしまうのだ。

 

ところで、あなたは選択のパラドックスという言葉をご存じでしょうか。選択のパラドックスとは…

現代の自由主義の社会においては選択肢が多いほど人は不幸を感じやすくなるという心理作用のこと。「選択の自由のパラドックス」。

欧米社会では従来「選択肢が多いほど人は自由で幸せである」とされてきた。しかし、現代社会では選択肢が多くなると無力感を感じて選ぶのが難しくなり、選択した後も「他の選択肢の方が良かったのではないか」という後悔が残って満足を得にくい、というものである。選択の際にはより多くの時間が必要となり、他の有意義なことに費やせたはずの貴重な時間の消費も満足度を下げてしまう。

引用元

 

ここ最近自分が経験している憂鬱・不幸感の原因、これなんじゃないかという気がする。

『エストニアに残っていれば良かったのでは?』

『英語が通じやすい国にしておけば良かったのでは?』

仕事をしていない時間やコードを書いていない時間、よくそんなことを自問自答する。しかしそれらは自分が選択しなかった生き方だ。だからそれらの問いの答えは出てこない。それなのに何度も繰り返してしまう。

 

俺はそもそもどうしてこんなキャリアを進んできたんだろう?

日本で会社勤めをしていた頃、海外で働けるようになることに憧れていた。大学生の頃にバックパッカーを経験したのと、テレビやネットで『日本人は働きすぎ』だの『日本人の働き方は外国人から見るとおかしい』なんて話をよく見聞きしていたからだ。「『日本人は働きすぎ』って話が本当なら、海外で働けるようになればマシな会社員生活を送れるんじゃないか」と思ったのだ。それは間違いじゃなかった。日本を出てから残業とはほぼ無縁で有給も遠慮なく取れるようになった。じゃあなんで今の俺はこんなに満足感の低い生活を送っているのか?ただチェコの暮らしにまだ慣れていないだけなんだろうか?

 

今の勤め先には最低でも1年勤めないといけないことになっている。その前に退職すると会社が立て替えてくれた移住費用を返金しなければならないのだ。日本円で約14万円。払えなくはないけど勿論払いたくはない。この1年、何かしよう。何か有意義なことを見つけよう。

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